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新宿で働くIT系プロダクトマネージャーが語る会社員の働き方・生き方

叱ってくれる人の大切さ

昨年はハラスメントが様々なところで話題になりました。

ハラスメントというとセクハラ、パワハラアルハラ、マタハラのような社会人に馴染みある言葉だけでなく、他にも様々あるようです。

 

職場でもハラスメントに関するトレーニングがあります。ハラスメントの被害者にならないために、なってしまった場合、加害者にならないために、、などいろんな観点のトレーニングが用意されています。ハラスメントに関するニュースを見ない日がないほどですし、一般的な社会問題として多くの方に浸透しているのではないでしょうか。

そんな流れなので、特に上司部下、先輩後輩の間のコミュニケーションにすごく気を遣うようになったと思います。私自身もそうですし、周囲もです。

 

一方で、一人一人の成長機会も奪われてしまってはいないかと感じる時があります。

「うちの部下Aさんがこの前突然3日間の有給を申請してきて、ちょうど他の部下Bさんの休みとも重なってしまったから、その間私が仕事をこなすことになったんだよ」なんていう話を飲み会で聞いたりします。

本来であれば、上司が部下の有給申請は毎月◯日までに翌月の分を済まさせ、その上で重なってしまうようなら調整をするというようなルールを設けてシフトのような管理をするのが良いかもしれません。とはいえ、そうすると自由度とのトレードオフになってしまいます。来週休みたいな〜という時に休めないということになってしまいますから。

より自由度を求めるのであれば、細かくルール化せず自由に有給を取れるようにしておくのは良いと思います。そこは考え方でしょう。

ですが、先に挙げた例のように、チームの誰か一人が苦しんでしまったりするのはあまり良いとはいえません。この時、上司としては「その日は、Bさんがおやすみの予定だからやはり出勤できないか、難しければBさんと話をしてどちらが休みを取るか話し合おう、それも難しければ他のチームの人に手伝ってもらうなり相談すべきだし、この間仕事がまわるよう工夫をしよう」というような会話をして、チームとしての仕事を全うするための指導をすることが重要になると考えられます。

ですが、もしこの会話によってAさんが有給の日程を変更したとして、「希望の有給を取らせない」というところだけ切り取ると、パワハラとの誤解を生みかねません。会社というコミュニティの中では問題はできるだけ避けるべきという圧力がそもそもあるため、ある意味上司が自分で仕事をかぶってでも部下には好きにさせるという方向を選択する場合があります。それがこの例です。

この時、Aさんは「チームワークを考えて、周囲に仕事をお願いする」「Bさんと調整をする」といった、会社というひとつのコミュニティの中での過ごし方を学ぶ機会を失ってしまったことになります。

 

他にも、例えば仕事で失敗してしまった部下Cさんがいたとしましょう。上司としては今後の成長のために「どうしてうまくいかなかったか一緒に振り返りたい」という気持ちで振り返りのための打ち合わせを設定しただけなのに、Cさんが「なんで失敗したんだ」と問い詰められているように受け取ってしまうかもしれません。

それが実際にパワハラになるかどうかはさておき、会社内で声をあげられてしまってはやっかいですから、そもそも指導をしないという事なかれな方向に倒す上司の方もいるでしょう。こうなると上司もCさんももやっとしたまま、絆を深める機会と仕事そのものの成長機会を失うことになります。

 

こういうことを考えると、「他人を指導する」ということは上司にとってリスキーなことです。適切に指導をしないことでチームのパフォーマンスが現状維持である方が、指導が変な方向に受け取られて下手な訴えを受けて自分の立場が脅かされるよりも相対的に良いわけですから。

それにも関わらず、そこを乗り越えて指導をしてくれるわけですから、「自分を叱ってくれる人」は大切にした方が良いと思うのです。「ありがとうございます」と礼を込め。

 

古い考え方ですかね?

 

※もちろん、怒鳴り散らしたり、机を叩いたり、、などそもそもの人としての品位を疑うような人の指導は聞く必要はないと思いますよ。

 

参考サイト:ハラスメントの定義とは?全35種類の○○ハラスメント一覧 – 社会人の教科書

 

 

BossのCM

この前Youtubeを見ていたら、BossのCMに出会った。最後の最後までBossとはわからなかった。どんな人に飲んでもらいたいのか、どんなシーンで飲んでもらいたいのか、すごく工夫されているCMだと思った。

企業からの一方的なメッセージアウトとなっているCMが多い中で、よくこういう企画が通ったと思う。結構好き。

www.youtube.com

崖っぷちに追い込まれることの大事さ

社会人も13年目が終わろうとしています。

 

最初のキャリアは営業からスタートさせました。技術の組み込みの営業だったり、オンラインでライセンスを販売するオンラインセールス。これを5年ほど担いました。

 

その後、急遽ある新製品のプロダクトマネージャーを任されることになりそれを4年ほど。その後も別の製品を担当しながら、マーケティングチームのマネージャーをやったりしました。プレイングマネージャーってやつです。これまた4年ほど。

 

今思えば、いろんな経験をしてきました。会社勤めですから必ずしも自分のやりたいことばかりではないですが、それでも自分の意見をはっきりと述べることのできる恵まれた環境で仕事をしてきたと思いますね。同時に、最近プレイングマネージャーとなってからは、ひとつ何かに向かって集中して仕事をすることが難しくなってきました。当然ですが。

 

プレイングマネージャーというと、いろんなことに首をつっこむ必要があります。自分が担当している製品をいかに最高のものに仕上げるかということはもちろんのこと、部下の育成、部下の担当製品へのアドバイスや補助、採用など。

こうなってくると、結構「できること」にすがってしまって、新しいチャレンジをしにくくなってしまうんですね。私の心の弱いところです。

 

どういうことかというと、例えば自分が担当している製品に関して、ただ使い勝手を向上させるだけでなく、うまくユーザどうしがコミュニケーションをして拡散してもらうような仕組みを導入していきたいとしましょう。これは従来経験のない取り組みとしましょう。こういった新しい取り組みをするのはかなりの労力が必要です。ユーザに拡散したいと思ってもらう動機付け、仕掛け、そしてそれを実際に実現する仕組みが必要です。これをうまくデザインしていく必要があります。

一方で、部下の持っている製品もこれまた重要な製品で、そっちはそっちで違うチャレンジがあったりします。ですがそのチャレンジは、我々にとっては経験済みのチャレンジで、適切にアドバイスをしながらリードすれば実現可能性が高いものとしましょう。

 

この時、後者に時間を割きすぎてしまって、前者が実現できなくなってしまうことが発生してしまったら問題です。そして、「自分の製品については計画通りの進捗とは言えないが、部下の方については上手くいきました」なんてアピールし始めたら成長ストップの始まりです。

 

本来であれば、期待されている役割としては自分の担当しているものを全うすることはもちろんのこと、それに加えて部下の製品も成功させてやらなければいけないわけです。ですが、何かひとつできなくても、何かができたことにより、若干の達成感と、若干のアピールができてしまうことが成長を妨げます。

 

自分が社会人になって最初に営業としてお客様を持ったとき、もうそのお客様と最大限ビジネスをしていくしか仕事がなかったのでそこに最大限集中して努力しました。お客様の会社のことを徹底的に調べあげ、いつも行っている営業先の方とできるだけ仲良くなる、そのために芸も磨きました。

その後初めて、プロダクトマネージャーとして製品を持ったときも同様です。開発チームが海外だったので英語を使いますが、英語がまるでできなかったので毎朝毎晩オンライン英会話をやっていましたし、プロダクトマネジメントをイチからやって自分の価値を最大限に発揮しようと思っていました。

これらは、自分が担当している分野がひとつであり、それをやらなければ自分の意味がないというように崖っぷちに立たされていたことによる原動力です。

 

色々と手を広げると「あっちがダメでもこっちがある」となり、こっちはダメでもあっちがあるといったように甘えが出てしまいがちになります。

これはこれで、企業の人として会社に張り付いて勤め上げたいという人には必要なことかもしれませんが、成長速度を犠牲にします。

何かの腕を磨き続けてプロフェッショナルになっていきたいとするならば、ひとつ軸を定めてそこに徹底的に集中してルーティンとしてこなせる環境を作る必要があります。

 

特に若い世代はこういったことをやりやすいと思いますので、いろんなことを広く浅くやるのではなく、ひとつのことに集中して深くやる環境(崖っぷちの環境)にできるだけ身を置いていくのが良いと思いますね。

 

私も少し環境を見直さなければいけない時期に来たかもしれません。

マーケティングは答えのない議論の繰り返し

マーケティングプロダクトマネジメントをやっていると日々答えのない議論の繰り返しです。

かつて、私も新卒で入社した直後は5年ほど営業をやっていました。その後、縁があってマーケティングの世界に移り、製品を担当するようになったわけですが、今でも感じるのが「議論の質が違う」ということ。

「議論の質」とはどっちが良質、、という意味ではありません。どちらの職種も重要な議論をしているのは間違いないです。ここで言いたいのは中身の違いによる質の差です。

例えば営業チームにいたときは、とにかく「目の前の売り上げを稼ぐ」ということが絶対的正義でした。それを達成すれば高額な報酬がもらえます。極端な話を言えば、来年、再来年のことは見据える必要がなかったのです。とにかく来年のことは来年考え、今目の前の数字をあげていくことに集中、そのために今できること、工夫は何か。これこそが焦点でした。これはこれで大事な議論です。そもそも議論という場が少なく、自分の担当範囲に対して、自分で考え、案を出し、時には上司に相談をしながらやってみて成果を見るというものでしたね。

一方で、マーケティングに移ってからというもの、①答えのない議論の繰り返しで、かつ、②本当にいろんな関係者との議論が必要です。

先に②の方ですが、製品ひとつ世の中に送り出すためには、その仕組みを支える運営管理のチームとの足並みを揃えることがまず大前提として必要ですし、営業チームに販売してもらうために営業マネージャーたちとの合意や、リソースのアサインをしてもらう必要があります。製品を作っていくのだって、開発チームとの合意が必要ですし、実際に世の中に送り出す前には、「さぁ、これでいきますよ!」という承認会議という儀式を通さなければなりません。

そして最も難易度が高いのは①です。営業チームにいた頃は「目の前の売り上げを稼ぐ」ということに終始していたのに対し、マーケティングに移ると以下のような議論が起こります。ひとつ、ある新製品に対し、値付けをする議論のシーンを例にとってみましょう。

案1)調査の結果、お客様の需要価格が5,000円だから、5,000円にしましょう。

案2)製品からの利益率は20%とっておくべきだから、6,500円にしておくべきではないだろうか。

案1)調査の結果、この製品を試用した方の70%が「また使いたい」と言っていることから、リピート購買が期待されます。当初の利益率は低くとも、リピート購買は販促費が伴いにくいため、この価格でも3年間でひとりあたり利益率25%が目指せます。

案3)3年でそうなるのであれば、そこまで高い利益率は必要ない。それであれば、4,000円にしてはどうだ。3年で20%になってくるのではないか。

案4)なぜ3年必要なんだ。2年で十分確保できる値付けが良いのでは。そうすると、、4,500円くらいの計算になるのでは?

これ、どれも正解です。考え方の違いですから。この時、企業の判断軸がしっかりしていれば決定が容易です。

例えば「3年以内に安定的に20%以上の利益率が目指せること」など。そうすれば、案1で最初から決まりです。この議論の時間が無駄です。よりスピーディに意思決定がなされます。

一方で、上記は、わかりやすい例ですが、ひとつひとつの論点に関して、このように判断軸がガイドライン化されていることはなかなかないです。したがって、論点は違えど、上記のような議論を日々繰り返すこととなります。

担当者としては、想定されるすべての論点をあらかじめ洗い出し、すべてに対して解をもっておくことが議論を進める近道になります。「ああいう考え方もあれば、こういう考え方もある」を前提に、ひとつの最適解と思われるものを持つ必要があります。このあたりが「質の違い」であり、醍醐味であるところ。

担当者は日々悩まされるところかと思いますが、「そういうもんだ」と思ってやっていくのがストレスを溜めないコツですね。

なんちゃらマネージャーの多い会社って大丈夫か?

私、「◯◯マネージャー」というタイトルの人が多い会社はどうなんだろうと思っているんです。

 

プロダクトマネージャー、マーケティングマネージャー、アカウントマネージャー、グループマネージャー、セールスマネージャー、プロジェクトマネージャー、プログラムマネージャー、リスクマネージャー、、あげればキリがないです。

 

そういう私もプロダクトマネージャーだったり、マーケティングマネージャーだったりします。これらの仕事が不要と言っているわけではないですよ。後述しますが、どれもとっても大事です。でも、なんちゃらマネージャーと言うからには、マネジメントする対象があってはじめて成り立つわけです。

 

例えばプロダクトマネージャー。製品をマネジメントするマネージャーです。世の中に受け入れられる製品を定義し、エンジニアと一緒に作ってはその製品が生み出す付加価値とビジネスに責任を持つ仕事です。とても大事な仕事だと、私自身誇りを持ってやっていますが、例えばこの仕事は製品をマネジメントする分、それを作るエンジニアがいて初めて成り立つ仕事なわけです。

 

他の例、マーケティングマネージャー。これは製品のマーケティングをマネジメントするマネージャーです。製品が世の中に受け入れられるようなメッセージ開発、チャネルの定義、戦略を描く仕事です。これも非常に重要な仕事です。これも同様で、実際に広告ビジュアルを製作するデザイナーだったり、チャネルを開拓する営業担当などがいないと成り立ちません。

 

アカウントマネージャーもそうです。日本では特定の代理店を担当する営業をアカウントマネージャーと言います。その代理店における売り上げを最大化するために先の戦略を描いたり、新しい製品の紹介をしたりする仕事です。それにあたってIT業界であればSEを一緒に連れていくこともあるでしょうし、化粧品業界なら成分に詳しい人を連れていくこともあるかもしれません。

 

どれも重要な仕事です。これらの仕事はないと会社は成り立たないはずですが、同様に重要なのはそのなんちゃらマネージャーの指示のもとに動く専門プロフェッショナルの人たちです。

 

なんちゃらマネージャーの仕事のパフォーマンスはこの専門プロフェッショナルの方々の実力に左右されます。実際に付加価値のある製品を生み出す仕事をしているのは専門プロフェッショナルの人たちなのです。なんちゃらマネージャーは、業務上上流工程であることが多いので、なんとなく花形に見られがちですが、実はそうではないのではないかと。

 

日本の企業のキャリアパスとして「現場仕事」→「マネージャー」という流れが多いように思います。マネージャーとつく職種の方が給料も高かったりします。現場の人はマネージャーを目指しやすくなり、現場仕事は経験の少ない若手か、マネージャーになれないシニアになってきます。本来、マネージャーの管理能力や方針決定能力と同様に、プロフェッショナルな人たちの仕事の品質を高めていくのが非常に重要であるにも関わらず、どうしてもその層が薄くなりやすい構造があるような感じますね。

 

日々、仕事をしているとそういうことを感じることが多いです。

私はなんちゃらマネージャーの一人ではありますが、せっかく覚えてきた現場の仕事の勘を鈍らせないよう、自分でプレイングしつつ、若手育成もして将来に備えつつ、、、というように心がけています。

参加者が受け身の講演のパターン

先日、とある中学校で、中学生とその保護者向けに講演をしてきました。

 

この講演は学校から依頼があったので是非に、、とやったものの個人的に感じた手応えはイマイチ。

 

学校側の期待と生徒の期待が少し離れていたように思います。でも、それはそのはずで、例えば自分が中学生の時、与えられた授業カリキュラムや特別授業などを受けるだけの受け身の姿勢でした。ほとんどの生徒が同様だったと思います。この人たちみんながそもそも聞きたい内容だったかというと必ずしもそうではないということです。

 

つまり、講演を実施する側は受け手がそのような状況にあるということをあらかじめ理解をした上で興味を惹く工夫が必要なわけです。

 

普段実施しているような講演は、参加者がお金を払うなり、わざわざ申し込むなり、本人のモチベーションで来てくださっていますが、こういった場はそうではありません。みんなが聞きたいと思っていることではないわけです。

 

こういった場でも「聞かされている感」のない、引き込めるような内容、しゃべりはもう少し研究が必要だと思いました。

全く英語がしゃべれなかったけどできるようになった話

私は最近こそブログにはまって色々記事書いてますが、日頃は会社員として仕事をしています。毎日英語を使って主に中国や台湾、フィリピンやオーストラリアの人などと仕事をしています。メール、電話、ミーティング、、いろいろです。

 

海外の人たちと仕事をするのは私はとても楽しいです。

各国のちょっとしたカルチャーに触れるのも楽しいですし、逆に日本のカルチャーに触れてもらってそれを受け入れてくれたときなんかはとても嬉しいですね。

以前、海外からゲストがきたときは築地のお寿司屋さんに連れて行ったりしましたし、新年近かったときには一緒に初詣にいったりしました。

逆に私が現地に行ったときも同様に現地の食事のお作法を教えてもらったり、日本では食べれないものに出会えたりします。仮に自分が英語ができたとしても、現地のローカルの人は英語がしゃべれなかったりするので、一人で旅してもうまくコミュニケーションが取れないときってありますよね。現地に知り合いがいるとそこが解決できるので、現地の時間がぐっと楽しくなります。このあたりの経験はまた別の記事を書きたいなと思います。

 

そのような感じで、仕事に加えて、それに関わる海外の方々とのコミュニケーションを日々楽しんでいるわけなのですが、実はこの仕事を始める頃にはTOEICで言うと390点…つまりほとんど英語できない人でした。

TOEICが公開している2020年1月の平均スコアが580点ほどのようですね。もちろんこれは受けている人の平均ですから日本人全体を表しているわけではないですが、少なくともTOEICを受けるような、英語に関心がある人の平均よりは圧倒的に下だったわけです。

 

しかし、急な異動で急遽やらざるをえない状況に追い込まれました。

正確に言うとハメられました…。異動をするということすらも急に決まったのですが、当初聞いていた話ではプロジェクトメンバーは全員日本にいるということでしたが、1週間後にはむしろ私ともう一人を除いて全員外国人であることに気づきました。外国人約20名の中で仕事をしていく環境に急になったのです。

 

…ということで、「Hello」と言って返事が返ってきても、その後が続かないレベルの私としては勉強を余儀なくされました。今考えればとてもラッキーな機会でしたが、当時は絶望していました。

 

そして取り組んだのはオンライン英会話です。

私が当時やっていたオンライン英会話は、「レアジョブ」というもので、Skypeを使ってフィリピンの方とリアルタイムに会話をするというものです。これです↓

 

1回のレッスンが25分、もちろんフリートークも可能でしたが、ハードルが高すぎるので自分がよくやっていたのはSkype上で送られてくるテキストを使いながら会話を進めるものでした。

先生によってビデオも使いましたが、音声だけの先生の方が多かったですかね。それを1日2回受けるコースを選んで、朝起きて1レッスン、仕事から帰ってきて1レッスンという感じで取り組んでいました。(たしかそれでも当時月8000円とかでした!)

 

やっているうちに、毎日仕事でも英語を使っているのも相まって、半年でTOEICが700点を超えました。その頃には日頃の仕事のやりとりをする分には困らなくなってきました。

 

「まじ!?」と思いますよね。

中学生からずっと英語は授業であったはずなのに、結果できないわけですからこれから数ヶ月程度の時間をかけたところで点数が上がる気がしないじゃないですか、普通。

よく電車の広告とかで見かけるじゃないですか。「○ヶ月でTOEICが800点!」みたいなやつ。「そんな楽してすぐに点なんか取れないだろ〜」ってずっと思っていましたよ。

 

ですが、レアジョブやった結果、スコアあがりました。

短期間ではありましたが、決して楽ではなかったですよ。毎朝、毎晩やり続けたわけですから時間的には大変でした。

 

オンライン英会話で学んだ一番大きなことは「完璧な英語をしゃべろうとしなくていい」ということ。学校で学んできた感覚からすると、完璧な英語をしゃべらなきゃいけないと思っていたんですよ。なぜなら、文法や単語の使い方をきちんとしないとテストで点数が取れないですから。でもそれは錯覚で、実際のコミュニケーションはそうではない、、ということに気づけたことが大きかったです。

 

考えてみてください。

例えば、日本人である私が、外国人の友人が一生懸命日本語で何か喋ってこようとしたら、こっちも相手の言おうとしていることを理解しようとするじゃないですか。相手の日本語がある程度正しくなくても、意思の疎通はできるわけです。

もっと言えば、日本人だって、完璧な文法でしゃべっているというわけではないはずですが、日々困らないと思います。言葉がまだまだ未熟な子供とだってコミュニケーションはできますよね。

もちろんビジネスで使おうという話ですから、微妙なニュアンスを伝えられるようになったり、より話をうまくまとめるための言い回しとか、より効率的にできるように、、とか色々と細かい努力はするべきです。

ですが、そのためにもまず「相手に伝えたいことが雑でも伝わる」というスタート地点に立てるかどうかがとても大事だと思うのです。それがわりと数ヶ月も続けていれば訪れます。

 

オンライン英会話のいいところは「マンツーマン」という点で、何かしゃべらないと、その場の会話が成り立たないということです。

相手が言っていることや、聞かれたことがわからなければ「もう一回言って!」って言わなきゃ話進まない。自分の伝えたいことがあったときに、もし適切な英語が思いつかなくても、何か知ってる単語を並べてでも表現をしないと、会話にならないわけです。でもそれに対して相手も理解をしようとしてくれるうちに会話になるんです。

それを繰り返しているうちに「あ、英語って完璧にしゃべらなくても、伝わるものなんだ」という自信になってきました。相手に伝わるとだんだん楽しくなってきますね。

 

やっているうちに頭の使い方が変わってくることも実感します。

当初は「相手の英語を聞く」→「日本語に頭で翻訳する」→「こちらが伝えたいことを日本語で考える」→「英語に頭で翻訳する」→「英語を発する」というプロセスでした。

それが「相手の話を英語で聞く」→「そのまま理解する」→「英語で思ったことを発する」になりました。ここまでくると、英会話がスムーズにいくようになります。

 

ただですね。英語ってある日いきなりできるようになるものじゃないんですよ。自転車って練習していると急に乗れるようになるじゃないですか。

そういう感じではなくて、どちらかというと「雪が降り積もるように積み重なって積み重なって、気づけばいつの間にか前よりできている」という感じなのです。なので、毎日毎日、力が向上しているという実感はなかなかありません。ここが挫折してしまう原因かと思いますので、ここを踏ん張って気にせず続けるか、、がとても大事だと思います。

 

…ということで私が英語がある程度できるようになった理由をまとめると…。

 ・英語をやらなきゃいけない状況に追い込まれた。(逆に自分で追い込むのもいいかも)

 ・オンライン英会話で毎日しゃべる機会を作った

 ・それを継続をした

 

あと「若かった」というのもあると思います。

私がこれを始めた当時は28歳とかでした。何か新しく吸収するには良いと思います。頭の能力的にも若いほど覚えが良いという話も聞きますし、結婚など、ライフステージが大きく進んでいく前だったので、自分のための時間をたくさん使えますからね。

 

私は英語がある程度できるようになってきたおかげで、人生変わってきましたし、仕事の幅も大きく広がったと思っています。迷っているうちに始めて見ると、人生開けていくかもしれません!