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新宿で働くIT系プロダクトマネージャーが語る会社員の働き方・生き方

支援と強制は紙一重

今このコロナ禍で運動部の監督をしていると、学生たちといろいろと意見交換をして物事を決めていく必要性に日々直面します。

 

例えば、

 

 ・「緊急事態制限が再度出て学校から外での練習禁止にされてしまった。自宅のトレーニングをどうするか」

 ・「最近Aくんのモチベーションが低いようだ、どうするか」

 ・「チーム全体として、食事や睡眠などの生活面の管理が甘いようだが、どうやって管理するか」

 

などなど。

 

もともと寮生活が基本のチームだったので、食事は管理できていたし、睡眠も消灯があったので管理できていました。誰かのモチベーションが低いとあれば、すぐに察して対話をしたりなどが学生間でもできていたのですが、リモートの日々が続くとそうもいきません。

そんな未曾有の悩みが日々続き、主将などから相談をもらいます。日々頭を使っていくことが求められます。

 

そういったときに「じゃあ、こうしてはどうだろう」と私から言ってしまうと、学生からすると「大人である先輩がそう言ったのだから」ということで、それがあたかも正解のように取ってしまったり、悪いケースではそのいう通りにそのまましよう、、という思考が働く場合があります。

 

例えば、「食事の管理が適当ではないようだ」という課題に対して、「Slackでみんなの食事の写真を共有しあおう」というアイデアを出したとしても、それをやるまでで終わってしまう場合があります。

本当は「身体作りがうまくいっていない」という問題に対して、「食事の管理が甘いから」という課題があり、「じゃあSlackなどで共有をしあおう(そしてみんなで指摘しあっていこう)」ですが、この「Slackで共有する」部分だけがアクションとして残ってしまう場合があります。

本来、「身体作りをうまくいかせるため」のものなので、指摘しあって、適当な食事管理をしていない人に対してはきちんと指摘をして改善をして、身体を作っていくことまでが正しいアクションかと思います。

 

 

コーチングの基本は、同じ方向をみて、同じゴールをみて、そこにたどり着くために互いに意見を交換しながら納得感をもって物事を決めて進めていくというものです。

こちらとしてはそのつもりで、よかれと支援のつもりでアイデアを出していても、受け手の意識によっては、ある種の「強制」になってしまい、結果的に効果が低い状況になってしまうのです。

 

いかに発生している「問題」と、それを引き起こしていると想定される「課題を仮説として」引き出してあげて、「打ち手」を自然と自分で考えさせるか、、話を運んでいく必要があります。

 

ここがコーチングのスキルが求められるポイントなのだと思います。

仕事でチームをマネジメントをするのも一緒ですね。目的や意図をはっきり伝えた上でアイデアを出していかないと、気付いたら何かをやるだけになってしまっていたりします。

 

自分がマネジメントするチームのメンバーを「マシン化」させてしまわないように、「支援」と「強制」が紙一重であるということに気をつけながら、今日もコミュニケーションとっていこうと思う次第です。